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「ルクソール」と聞いてピンと来なくとも、「ツタンカーメンの墓がある王家の谷」と言えば、 カイロから南に約600キロ。ルクソールは、かつて古代エジプトの都「テーベ」(ギリシャ名)として知られていた。紀元前2000年頃、メンチュヘテプ2世によってここに都が建てられ、新王国時代(B.C.16C〜B.C.11C)に繁栄。ラムセス2世、ハトシェプスト女王、トトメス3世など、古代エジプトの歴史上の有名人が、入れ替わり現れた時代だ。 今の「ルクソール」という名前は、アラビア語の「エル・ウクスール」(「城塞」の意味)から来ている。ローマ時代に大きな要塞があったことから、こう呼ばれるようになったのだ。 現代のルクソールでは、ナイル川東岸が市民の暮らしの中心。西岸は神殿や王墓の点在する一大観光地になっているが、遺跡の間には閑静な地元民の村がある。 必見の遺跡は東岸のカルナック神殿、ルクソール神殿、西岸の王家の谷、ハトシェプスト葬祭殿など。日本の早稲田大学の調査隊が修復しているアメンホテプ3世の墓や、95年に発見されたラムセス2世の50人の息子の墓などの公開も待ち遠しいところだ。 今のエジプト人は、イスラム教を信仰するアラブ人。陽気で人なつっこい一方、観光客に高い料金をふっかけると悪評も高いが、ルクソールの街では、日本とはまったく違う現代アラブの暮らしぶりを見ることができる。 |